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【 コラム 】

無戸籍児童は修学旅行に行くことができたのか [ 5 ]

DATE:2015年11月10日

調停委員の話では、調停の相手方であるY氏がすでに調停室に入っていて、S君が自分の子ではないと断言したこと、調停委員会としても、これまでの経緯からして、Y氏の言葉が信用できるので、即日審判を出すつもりであることといった説明を、その場で受けた。
調停委員に案内されてわれわれが調停室のなかに入ると、そこに一人の初老の紳士が先に座っていた。
それがY氏だった。
額や目元には深いしわが刻まれていたが、調停室の場に、ある意味そぐわない穏やかな表情をしていたのが非常に印象的だった。

裁判官が立ち会った手続きがすべて終わり、調停室から裁判所玄関までY氏と施設長の三人で歩きながら、とりとめもない話をした。裁判所玄関まで来て、われわれがY氏にお礼を言おうとすると、雰囲気を察したのか、Y氏の方が先に深々と頭を下げて話し始めた。
まだまだ罪は全部償い切れていませんが、数十年来、心の奥底に抱えていたものを、今日少しだけ片づけさせてもらえた気がしています、今日の手続きのことは女房にも息子にも、もちろん言ってあって、二人とも快く、私を送り出してくれました。今日は本当にありがとうございました。
そう言って、Y氏は、こちらが恐縮するくらい、もう一度深々と頭を下げていた。
S君とお母さんによろしくお伝えくださいという言葉だけは、Y氏は口のなかに呑み込んでいたが(言葉に出せば、かえって気を遣わせるという配慮だったのだろう)、その気持ちは痛いほどわかった。
結局、施設長と三人で無言のまま、裁判所前の歩道まで歩いて、タクシーを停めてY氏を見送った。

数日して、ようやく施設と連絡が取れるようになったS君のお母さんと、事務所で会う機会があったが、Y氏から受け取った手紙の文面や、調停当日のY氏のことを、S君のお母さんに伝える気持ちには、どうしてもなれなかった。
短時間で要領よく伝えるには、あまりにも両人とも背負ってきたものが重すぎる、
S君のお母さんの姿から、そう感じたからだ。

その後も紆余曲折は少しあったが、無事、S君のお母さんを筆頭者とする戸籍に、S君の欄が作られたことまでを確認して、依頼事件はすべて終了した。
S君が修学旅行に行けたのか、行き先はどうだったのかといったことは、忙しさにかまけて聞きそびれていたが、いつしか気にならないようになっていた。